琵琶湖60㎞ナイトウォーク

8/27-28で琵琶湖岸をナイトウォークしてみました。
100kmのウルトラとかを考えると夜通し動き続ける必要があるので、今回はそのテストとして、どのくらいできるか試してみました。
コースは虎姫から篠原までの約60km。琵琶湖を一周すると約200㎞になるので、だいたい1/3弱の距離です。
夜に歩いたので今回は写真は少ないです。

基本構想

北陸線の虎姫を出発して、東海道線の篠原までの60㎞のコースを夜通しかけて歩く。
想定タイムは12時間。
基本的には全コースを歩く。(走ると体力が持たない可能性があるため)
10㎞毎に休憩ポイントを設ける。補給は基本的にコンビニで行い、荷物は極力減らす。
中間の30㎞地点で大休止を兼ねて夜食を取る。

準備、出発~虎姫駅

夏のことなので、防寒具は不要。ゴールしてから着替えようかと思い最初は着替えも準備したが、荷物になるので持っていくのはやめた。
服としては雨用にポンチョを一つ持って行っただけ。
その他、非常食として、チョコ羊羹、柿の種、トレイルバター、エナジージェルを用意。あとは、水に入れて飲むように塩熱タブレットと塩梅水。
薬類は、喘息発作が出たとき用に器官拡張剤、痛み止めのロキソニン、つり対策として芍薬甘草湯。
その他の持ち物は、ヘッドライト、かばんに付ける用の赤いライト、モバイルバッテリー。
服装は、上がファイントラックのドライレイヤークール(ノースリーブ)とラミースピンエアジップ。下が、サロモンのクロス5ショーツ
靴はアルトラのパラダイム
ザックはサロモンのADV Skin12。
冷たい水がいつでも飲めるように、サーモスのステンレスボトルを持って行こうと思っていたが、重くなるのでやめた。その代わりコンビニで凍った別途ボトルを買えばいいかと思っていた。

4時前の列車に乗り、高槻で新快速に乗り換え、新快速は敦賀行きなので、そこからは乗り換えなしで虎姫まで直行。
途中、草津で非常ボタンが押されたということで、草津駅手間で列車が止まる。人身事故だったら予定が大幅に狂うのでどうしようかと思ったが、幸い確認がすぐに終わり、約7分遅れで出発。
途中の米原で、切り離し作業が入ったが、ここで時間短縮したようで、虎姫駅には約3分遅れの5時18分に到着。
実は、今回は夜中になって列車が止まるので、途中でやめられないというリスクがある。そのためいつになく緊張していた。いつもなら大体ギブアップして途中でやめる方法をあらかじめ考えてから実行に移すことが多いのだが(大峯奥駈道だけはちょっと難しいが)、今回の場合は早々に切り上げて終電で帰るか、後は野宿するかくらいしか選択肢がない。

虎姫~彦根

とりあえずトイレを済ませて出発。何故かこの日はのどの渇きと尿意との戦いとなった。結局2時間に1回ずつくらいトイレに行った。

出発点の虎姫駅

ちょっとお腹が空いていたので、近くのコンビニ(ローソン長浜唐国町店)に寄って、水とサンドイッチを購入。ここはイートインがあったが、鎖がかかっていて使えないようになっていた、おそらくコロナ対策と思われる。以降もイートインが無かったり、あっても使えなかったりと、コンビニで休憩を取る作戦は結局失敗だった。
とりあえず、湖岸を目指して進む。歩いていると進むのが非常に遅く感じてもどかしい。普段は走ったり、自転車だったりするので、景色の変化の速度が遅い。日暮れまでに湖岸までつけるだろうか?
虎姫は思ったよりも涼しく、このまま気温が下がったらちょっとやばいかなと思った。なんせ羽織るものと言ったらポンチョくらいしかない。最悪はそれで我慢するしかないと思ったが、南へ行くと温度が上がっていき(正確にはほとんど下がらず)この心配は杞憂に終わった。
高時川を渡る。大きな鳥が何羽も河原にいる。明るいのは今の内なのでとりあえず写真を撮る。

高時川を渡る

高時川を渡ってから、田川という小さな川沿いを進み、日暮れ前に何とか湖岸に出た。

夕闇迫る、琵琶湖岸

湖岸まで5㎞ちょい。まだまだ先は長い。ここからは、自転車の琵琶一で走り慣れた湖岸の道を歩く。
風が強く、幸いに追い風で気持ちよく歩ける。
最初のチェックポイントは長浜。ちょっと距離があり約12㎞ほど。
長浜の手前でおしっこが我慢できなくなってきた。幸い、キャンプ場の駐車場があってそこにトイレがあったので済ませる。
7時40分頃長浜に到着。セブンイレブン長浜公園町店でおにぎり2個と水を購入。ただの水だと飲みにくかったので、ここで新しく買った方の水に、塩梅水を入れる。実は、もっと暑いと思っていて、コンビニで凍ったペットボトルを買って持ち歩こうと考えていたので、今回はフラスクを持ってこなかった。ところが案外涼しくて、結局凍ったペットボトルは結局買わずじまい。ペットボトルをザックの胸ポケットに入れたので、ごわごわして歩きにくかった。結果論としてはフラスクを持ってくればよかった。
長浜のコンビニはイートインがなかった。そこで、目の前の公園でおにぎりを食べることにした。すると、花火が上がった。

長浜で突然花火が上がる。

今日は花火大会かと思ったが、それにしては人手がないなあと思っていたら、すぐに終わってしまった。いわゆるゲリラ花火というやつか。
次のチェックポイントは彦根手前のコンビニ。この辺りはコンビニの間隔が長くちょうどいいところにない。次のチェックポイントまでも約12㎞ほど。
すっかり暗くなって湖岸をひたすら歩く。長浜のあたりは賑やかだったがすぐに、寂しい夜道になる。退屈なのでラジオでも持ってきたらよかったと後悔する。
そしてまたしても尿意がやってくる。
今度は、17㎞地点の道の駅、母の郷で用を足す。おしっこも近いが、緊張のせいかお腹も張ってガスもたまっていて少しお腹が痛い。どうも今日は調子が悪い。本当に最後まで行けるのか心配になってきた。
終電は彦根発が10時47分で、普通に歩いていては間に合わない。やめるなら米原駅を目指すくらいでないとだめだが、既にその分岐に差し掛かりつつある。終電に乗れなかったら琵琶湖岸で野宿か、それとも彦根あたりで開いているビジネスホテルでも探すかなどと、ネガティブなことばかり考える。
おまけにちょっと雨がぱらついて来た。雨の方は幸いにすぐにやんだが。
その後も単調な湖岸歩きが続き、10時過ぎに、ファミリーマート彦根ミシガン通り店に到着。ここでは、シュークリームを購入。ここもイートインはなく、外にベンチがあったのでそこに座ってシュークリームを食べる。
しばらく行くと彦根の市街に入って賑やかになってきた。ここから、湖岸を離れ彦根市内のラーメン店を目指す。
賑やかなところを通りすぎ、芹川を渡って左に入り湖岸を離れる。そこから平田川という細い川沿いを進む。このあたりは彦根の市街からほど近いあたりだが、住宅街で夜の11時近いとあって非常に静か。
川沿いをひたすら歩いて、突然賑やかな通りに出ると目的のラーメン店、ラーメンまこと屋彦根ベルロード店があった。ここはこの辺りでは貴重な夜12時までやっているラーメンやさん。ここで夜食を取って大休止とする。
ここまで約28㎞、時刻は11時ぐらい。だいたい予定通り。
ここで半熟煮卵牛じゃんラーメンをいただく。スープは豚骨系かな。自分的にはこってり過ぎず、あっさりでもなく程よい感じでおいしかった。
ramen-makotoya-hikone.business.site

食べている間にGarmin Instinctを充電。公称で11時間稼働ということになっているが12時間くらいかかる予定なので、たぶん電池が持たないと予測。

彦根~篠原

11時20分頃ラーメン屋を出る。もう終電はないので、今日は帰る手段はない。大休止で少し回復したので覚悟を決めて進む。このあたりはベルロードという彦根の目抜き通りらしい。しばらく行くともう一件ラーメン屋があった。うま屋ラーメンという店。後で調べるとこっちは夜の2時までやっている。こっちにしてもよかったか。その先には24時間営業のマクドナルドもあった。夜通し歩くなら、コンビニよりもこういうお店を活用したほうがいいかもしれない。もっとも街中にしかないのが難点なので、湖岸のような寂しいところを歩いたのでは使えない手ではあるが。
ベルロードもしばらく行くと寂れて来た。犬上川を渡って右に折れて湖岸に戻る。
湖岸に戻ると波の音が激しい。今日は風が強いせいだろう。幸いここまでは向かい風になっていないので歩くのに支障はきたしていない。この辺りでかかとが痛くなってきたのに気づく。どうもペースをあまり上げないようにしてきたおかげでかかと着地になっていたようだ。日ごろの鍛錬の成果が出ていない。いつもの歩き方に戻すと、かかとの痛みは消えた。そして、少しペースが上がる。やっぱり、重心の移動を使って前に前に進むようにすれば、少ない労力で早く進める。しかし、同時につま先に負荷がかかる。またしても右足の親指の爪が痛くなってきた。ここは何度も痛めているところだが、痛いのは靴に当たるせいだと思っていたが、それだけではなさそうだ。つま先着地で爪に負担がかかっているらしい。まあ、この場ではいかんともしがたいし、かかとが痛いよりはましなので、そのまま進む。
湖岸に出てすぐに、さざなみ街道から少し右に入って、湖岸の際を進む。最近はサイクリングロードもちゃんと整備されて青い線が引いてあるが、青い線もこっちの道にひかれていた。
夜中は寂しい、集落を抜けていく。この辺りでまた雨が落ちて来た。今度はさっきよりも強い。ポンチョを出そうかどうしようか悩むくらい強い。ちょうどこれ以上強くなったらポンチョの出番というところで強くならずに降っている。仕方ないので様子を見ることにする。
前方からゆっくりと光が近づいて来た。横に2つ光が見えたので車かと思ったがそれにしては遅いと思ったらチャリだった。チャリで夜中に琵琶一をやる人がいるんだ。チャリダーはこのあとも何人か見たが、歩いているのは自分一人だった。
41㎞を過ぎてようやく、セブンイレブン彦根新海町店に到着。大休止があったとはいえ、ここもちょっと長めできつかった。
ここで、アイス最中と麦茶を買う。塩梅茶は普段1Lか1.5Lくらいに溶かして飲んでいる(本来は500mlようなのだが)、その分には結構おいしいが、500mlに溶かすとちょっと濃くて甘さを感じてきつくなってきたので麦茶にすることにした。
ここのコンビニはイートインがあっても使えなく(といっても立ち食いスペースみたいな感じだったが)、外の駐車場で座って食べた。
足の痛みが結構きつくなってきたが、後チェックポイント一つと思って自分を鼓舞する。
この辺りはクモがやたら多く、蜘蛛の糸がすぐに手や足に絡まって、そのたびに取り払うので忙しい。
近江八幡市に入ると、湖岸を離れ山の際を進む。山の際を回り切ったところで、ローソン近江八幡島店に到着。ここまでで50㎞。自分自身の最長不倒距離に到達。ここからは未知の領域だ。
ここで、お腹が少し空いていたのでおにぎりを購入。ローソンはおにぎりの種類が多く迷ったが、ビビンバおにぎりにした。これは当たりで結構おいしかった。ここも、イートインはなく外の駐車場で座って食べる。
ここまで来たら近江八幡の市街はもうすぐ。
水郷の郷を抜けて、近江八幡市外に近づく。近江八幡市外に入ったところで麦茶がなくなったので、セブンイレブン近江八幡桜の宮町店で麦茶を購入。ここまではだいたい20㎞で600mlのペットボトル1本という割合だったが、ここにきて水分の消費が早くなった。尿意の方は相変わらずで、コンビニのたびにトイレに入っている。
時刻はもうすぐ5時。6月だったらもう明るくなっている時間だがまだまだ暗く、夜明けの気配がない。
ここからは近江八幡の駅はすぐ近くだが、目的地はその一つ先の篠原駅、あと5㎞くらい。
しばらく行くと賑やかなところを抜けてまた、寂れた通りになった。
桐原の辺でようやく明るくなってきたのでヘッドライトを消す。ちょうどヘッドライトの電池がなくなりつつあったところだった。ヘッドライトはPezlのアクティックコアを使っているが、一番暗いやつだと160時間もつということだがこのモードだと暗すぎて地面がほとんど見えない。2番目に明るいモードにすると歩けるくらいに明るくなる。このモードだと、この時期で丁度夜通し使える感じ。だいたい10-11時間くらいか。秋から冬だと予備の懐中電灯を持ってきて、途中で電池交換が必要になりそう。
ここで、歩道が工事中で歩けなくなったので、本来日野川の手前まで行くつもりだったが、明るくなってきて迷う心配も少ないので、桐原小学校の方に曲がる。小学校の前は新しく整備された道らしく歩道も広く歩きやすい。ここまで来れば駅まであと2㎞くらい。
日野川を渡ってしばらく行くと篠原駅に到着。5時40分頃。始発は5時半だったので、始発には間に合わなかった。予定では12時間で歩き切る予定だったが、休憩時間特に、大休止の時間があったので、予定より少し長くなった。まあ、早く着きすぎるよりも全然いい。とりあえず30分に一本は電車がくるし。
またお茶がなくなったので駅でもう一本麦茶を購入。そして駅でトイレに行ったのは言うまでもない。

ゴールの篠原駅に到着

篠原から乗ると、すぐに野洲、守山、草津、大津ときて行きよりも大部短く感じた。まあ、60kmも戻ってきているのでそりゃそうかと思った。

まとめと反省、今後に向けて

歩き終えた感想

一応目標の60㎞は歩き切ったが、かなり足にきた。筋肉痛というよりは、足の裏あたりの痛みを強く感じた。靴は、クッション性の良いアルトラのパラダイムを履いていたが、全部アスファルトの道だったことと、歩き方がかかと着地になることが多かったのが問題だったかもしれない。うまくいけば、次は100kmと思っていたが、このままではいきなり100kmは難しそうだ。

コンビニ休憩は失敗

琵琶一のツーリングでもよくコンビニを休憩ポイントにつかっているので、今回も同じ考え方でコンビニ休憩を取り入れたが、確かに食料、水を補給できるのはありがたいが、座って休むところがなく、全部をコンビニ休憩で済ませるのは無理がありそう。ルートを考えて、夜中に開いている店で座れるところで休憩を取り入れるなどの工夫が必要だと思った。自転車だと乗っている間はサドルに座っているのでそれほど座りたいと思わないが(お尻は痛くなるけど)、歩いていると座っての休憩は結構重要。あとは、荷物になるのを覚悟して折り畳みの椅子を持っていくか。
まあ、飲み物だけなら自販機で購入という手もあるが、無味乾燥な自販機よりも、人がいて明るいコンビニの方がほっとするのは間違いない。ただ、全部をコンビニ休憩にしてしまうとどうしてもゆっくりできないので休憩が短くなりがちで後々で響いてくる。休憩なしで長距離歩き切る体力があれば問題ないが、現状ではそうもいかないので別の方法を考える必要がある。

大休止は1回でよかったか?

今回はほぼ中間点の30km付近で大休止を1回とって夜食を食べたが、それ以外の休憩ポイントでちゃんと座れたのが2回、残りの2回は駐車場に座って食べた。上にも書いたが、ゆっくりできる雰囲気ではないのでそそくさと立ち去ることになり結果的に休憩時間が足りなかったように思う。時計を見て休憩時間を5分なり10分なり積極的にとるようにするか、20kmに1回大休止を挟むなどの工夫があった方がよかったかもしれない。大休止を取るためにはゆっくり座れるところが必要なので、24h営業のマックやスタバなどを探してルートに組み入れる工夫がいるが。ファミレスは最近は深夜には営業していないところが大半なのでちょっと使えないかな。閉まる前に入って、夜食を食べるというのはありかもしれない。ちょっと小腹に何かを入れるというのにはたとえ開いていても重たいかな。

道路歩きは退屈

ラソンを走っているときもいつも思っていたが、やることがなくて退屈に感じる。トレランだと、道を間違えないようにトレースするとか、傾斜や地面の様子が刻々と変化するのでそれに合わせて走り方を考えないといけないし、結構頭を使うので退屈することはあまりないが、ひたすら道を歩くとなると、結構退屈する。おまけに、夜、寂しいところを歩いていたりすると荷物にはなるがラジオなどを持って行った方がよいと思った。ラジオを聞いていてれば退屈しのぎになるし天気などの情報も得られるので一石二鳥。
ただし、夜通し歩き続けてもっと眠くなるかと思っていたが、全く眠気には襲われなかった。一晩くらいは何とかなるものだというのは収穫だった。夜眠くてどうしようもなかったら、トレランでもウォークでもウルトラは諦めざるを得ないところだったが、とりあえず先に希望がつながった。あとは体力の問題。

次回へ向けて

還暦前にトレランで100kmという目標を掲げていたが、コロナの影響もあってあまり距離が延ばせていない。大会ベースだと最長でまだ30km。
ランではなくウォークならと思って、今回60kmにトライした。うまくいけば、どこかで100kmウォークの大会に出ようかと考えていたが、もう少しトレーニングしないと100kmは難しいということが分かった。これでどんな形であれ還暦前に100kmというのはあきらめることになりそう。
次は80kmくらいが目標か? 今回のペースでいくと80kmだと、17-18時間くらいかかりそうなので、昼間だけでやりきるのは難しい。琵琶湖の周辺は歩道が整備されているところが多く歩くのも歩きやすいのだが、休憩ポイントをどうするかが大きな問題。今回うまくいけばそのまま距離を延ばすことも考えていたが、コースについては休憩ポイントを重視して慎重に考える必要がありそう。

虎姫って意外に標高が高い。涼しかったのはそのせいもあったのか。

南アルプス登山断念の後日談

夏休みに計画していた南アルプス登山をコロナと台風で断念したという記事を書いた。その後日談というか、いろいろ思ったことを少し書いてみます。
alasixosaka.hatenablog.com
何故かこの記事に沢山の星をいただいた。普段の記事ではほとんど星をもらうことがないので、ちょっと戸惑っている。
まあ、勝手な想像をすると、せっかく行ったのに残念だったねと言う同情票ないし、山では勇気ある撤退も必要という励ましかなと思っている。
自分は、個人的には山は逃げないので、コンデションの悪いときに無理に上ることはないと考えているので、残念なのは残念だったし、交通費と宿泊費が無駄になって結構損をしているのだが、命に変わるものはないのでこれはこれで妥当な判断だったと思っている。
過去に登山を断念したことは3度あり、今回が4回目である。1回目は、学生時代に九州の九重山に登った時のこと、朝から快晴で絶好の登山日和だったのに、山頂手前で嵐のような暴風雨にあって断念した。この時は、山の反対側に宿をとっていたので、仕方なしに、山頂直下の峠まで行って降りたが、山から下りるとまた快晴のいい天気で、山頂付近だけが雨だったという不思議な天気だった。それ以来、九重山に登る機会がないが、この時の判断は後悔していない。2度目は、谷川岳に登った時。この時は従妹と行ったのだが、従妹が友達を連れてきたいというのでOKした。従妹とは八ヶ岳にも一緒に登ったことがあり、ある程度体力があることがわかっていたので、コンディションが良ければコースタイム以下で登れるだろうと考えていたが、その友達が全く体力がなく、半分も行かないくらいでスピードが完全に落ちてしまって、コースタイムの倍くらいかかるようになって、これはどう見ても山頂まで行ったら帰ってこれないと判断して途中で断念した。谷川岳にもそれ以来行っていない。この時は、本当に山頂まで見渡せる、絶好の天気だっただけにちょっと残念だあったが仕方がない、素人を巻き込んで遭難するわけにはいかない。
もう1回は、昨年、六甲全縦にトライしたときのこと、半分で疲れてしまってリタイアして下山した。
alasixosaka.hatenablog.com
六甲山系はエスケープルートが沢山あって、結構いつでもリタイアできるのでこういうこともできるが、アルプスではそうはいかないのでより難易度は高い。まあ、この時は、半分でリタイアというのはあまり考えてもいなかったが、もう少し先のエスケープルートは結構調べておいた。結局無駄になったが、事前の準備は大切ですね。
この夏は、山で遭難したり、動けなくなって救助されたというニュースが例年になく多いような気がする。コロナで山にも行けなくて久しぶりに行ってみたが体力が落ちてしまっていて思ったように動けなかったということもあるのではないかと想像している。しかし、富士山に登って疲れて動けないからといって救助された人がいたが、ちょっとどうなんだろうと思う。さすがに、山に登ろうと思ったら、その山に登れるかどうか自分の体力と相談してから決めるのが当たり前だろうと思う。まあ、それぞれ事情があるだろうから、一概に準備不足とは言えないケースもあるのかもしれないが、それにしても、疲れたからと言ってすぐに人に頼るというのはいかがなものか。ちょっと甘ったれているのではと思ってしまう。
また、大峯山系で遭難した人がほぼ1週間ぶりに救助されたというニュースもあった。こちらは、かなり経験のあった方らしく、沢の水と持ってきた非常食で何とか命を繋いで無事に救助されたとのこと。何よりである。弥山に登山して道に迷ったということだったが、自分も昨年、行者還トンネル(と言っても自分は反対の東口の方からだったが)の方から弥山、八経ヶ岳と登ったが、そんなに迷うようなところがあったかなと思った。ここは人気のコースで登山者も多く(この部分を過ぎると途端に人がいなくなるが)、何故迷ったのかなと思っていたら、Yahooのコメントに行者還トンネルへの道が通行止めになっているとのことで、別ルートから登山をしたらしい。降りるのも天川村方面へ、かなり長いルートを行ったいたんじゃないかということで、あまり人の行かないところだし、標識等もしっかりしていない可能性もあるのでそこで迷ったのかなあと合点した。まあ、それにしても無事で何よりだった。
ただ最近はGPSスマホGPSで現在地が確認できるし、そうそう道に迷うこともないように思うのだが(それでも、道を間違えることはしょっちゅうあるが)。後はやっぱりコースタイムの管理が重要かなと思う。自分の場合は、だいたいいつもコースタイムの70%で計算している。よっぽどのことがない限り、それ以上かかることはないし、それで余裕を見て計画を組んでいる。それぞれの体力や技術にあったコースタイム管理はとても重要だと思う。もちろん何かあった時の非常食も重要だ。非常食については、学生時代に山岳部の後輩から勉強させてもらった。彼と一緒に黒部川の下ノ廊下に行ったとき、途中テントで一泊して黒部ダムから欅平まで行ったのだが、山岳部の後輩は2日目の午後になって色々と食料を出して配ってくれた、非常食は最後まで取っておいてもう大丈夫というところまでは手を付けないということだった。なるほどそういうものかと勉強になった。(山に行く人には当たり前の知識かも知れないですが、その当時は本当に素人同然だったので)
山は普段は穏やかに見えても、天候次第では人に牙をむいて襲い掛かってくるので、そういうことも頭にちゃんと入れて慎重に行動すべきものだと思っています。皆さんもお気を付けください。

南アルプス登山 無念の断念

夏休みに南アルプスを登山する計画を立ていただ、いろいろあって麓までは行ったものの結局断念することに。
元々は、今年から新しく小屋番が変わった光岳小屋に止まる予定だった。

当初の計画

8/11 出発、麓の遠山郷に宿泊
8/12 池口岳登山口から光岳へ 光岳小屋泊
8/13 光岳小屋から畑薙ダムへ下山 しずてつバスで井川駅へ、井川から大井川鉄道川根温泉笹間渡へ、家族と合流して温泉に宿泊
8/14 観光、帰宅

始めはこういう予定を立てていた。

コロナで光岳小屋が休業

ところが、1週間ほど前に川根町役場から電話があって、小屋でコロナの患者が出たということで、8/12まで休業という連絡を受け、小屋泊ができなくなった。そこで予定を変更。

次の計画

8/11 予定通り、遠山郷に宿泊
8/12 池口岳へ日帰りで登山、下山後 遠山郷にもう1泊
8/13 列車で川根温泉へ移動、家族と合流して宿泊
8/14 観光して帰宅

とりあえず出発、しかし台風の接近で予定に暗雲

遠山郷の宿に電話して、もう一泊できるか聞いてみたところ、OKだったので、予定を変更して池口岳へ登ることにした。池口岳も標高2300mを越える200名山で、登る人は少ないようだが、日帰りで登るには結構登りごたえのある山だ。
ところが、台風が接近して、特に8/13日がやばそうという感じになってきた。それでも、出発時点の予報では8/12はなんとか天気が持ちそうな感じだったので、予定通り出発。

名古屋駅は大混雑

朝8時48分の新幹線で名古屋に向かう。名古屋まではスマートExを始めて使ってみた。会社の出張ではEx-ICを使っているので使い勝手はほぼ似たようなものだった。スマートExでは、事前に登録した交通系ICカードを新幹線乗車のタッチにも使うので、自分が普段使っているICOCAを登録しておけば、在来線の料金はICOCAで引かれて、そのまま一枚のカードをタッチするだけで新幹線に乗れる。カードが別に必要なEx-ICよりも便利に感じた。実は、遠山郷の最寄り駅は飯田線平岡駅で、在来線に長い距離乗るので、スマートExを使うよりも通しで切符を買っておいた方が得だったのだが、スマートExが特急券のみの販売に対応していないのに気づいたのが予約した後で、キャンセルして切符を買い直して手数料を払うよりもそのままスマートExで乗った方が安いので、キャンセルせずにそのまま名古屋まではスマートExを使った。Ex-ICでは特急券のみの販売に対応しているのでスマートExでも対応していると思い込んでいたミスだった。また、調べると飯田線の平岡はICカード(名古屋地区はTOICA)の対応圏外なので、切符を買う必要があるので、どうせ名古屋で切れるので、降りて切符を買うついでにお弁当を買おうと思った次第。
しかし、新幹線は結構空いていたが、名古屋駅はお盆の帰省ラッシュで大混雑。まず切符を買おうと券売機のところへ行ってみたが、平岡までは自動券売機で買える最長区間を越えていたため窓口での購入が必要だった。ところが窓口は長蛇の列。とりあえず切符は後回しにして、お弁当と行動食にういろうを買いに行く。お店の方も混んでいて、買うまでに結構並んで時間がかかった。なんとかお弁当とういろうは入手したものの、再び切符売り場に戻ってきたが相変わらずの長蛇の列でとても出発時間までに切符が買えそうにないので、後から清算することにしてとりあえず自動券売機で最短距離の切符を買って電車に乗り込む。
名古屋からは快速で豊橋に向かう。

久しぶりの飯田線

豊橋からは飯田線に乗り換え。豊橋から飯田線に乗るのは学生の時に乗ってい以来、ということはかれこれ40年ぶりということになる。その当時はまだ国鉄だった。時刻表の路線図で見つけた、やたらに駅の数の多い飯田線ってどんなところかと思って青春18きっぷで乗ってみた。それ以来になる。まだ廃止されず、第三セクターにもならず頑張っている。なんでも飯田線は最近では秘境駅の宝庫ということでマニアの人が結構乗るらしい。自分が乗った列車にもそれっぽい人が結構乗っていた。お陰でお盆とはいえ、超ローカル線の飯田線は結構人が乗っていた。新幹線よりも乗車率が高い(笑)。
普通列車に乗ること約3時間。駅の数はなんと40個。13:30頃にようやく平岡駅に到着。宿から車で迎えに来てくれてたので車に乗って遠山郷に向かう。駅からは約20分。本日の宿、民宿なかのさんに到着。

遠山郷にて

とりあえず、夜までにはまだ時間があるので、宿の付近をぶらぶらする。
遠山郷は信州と静岡を結ぶ秋葉街道の旧宿場町で、昔はそれなりに賑わっていたらしいが、今は主要道路からも離れ、鉄道もなくひっそりと山の中にたたずむ日本の山里という感じ。

遠山郷を流れる遠山川

宿は旧街道沿いにあるが、中山道の馬込や妻籠東海道の関といった旧街道の佇まいを残しているわけでもない。とりあえず、観光案内書があったので、見どころを聞いて、大杉というのを見に行った。

遠山郷の大杉

あと、遠山城(といっても小さいし、再建されたもの)に郷土館があったのでそこにもよってみた。地元のお祭りを調査したビデオを見て、館内を見学した。主にお祭り関係の展示が多かった。お祭りの際に着けるお面がたくさん展示されていた。郷土館の前に湧水があって、観音霊水というらしい。日本の百名水で最も硬度が高いということだった。とりあえず一口いただいた。

天気はどんどん悪化

さて、宿に帰って夜になると雨が降り始めた。天気予報を見ると明日はほぼ一日雨となっていた。どうやら台風(この時はまだ温帯低気圧)の影響で長野県南部には雨雲がかかっているらしい。少々の雨なら登山は可能なので、この時はまだ登る気でいた、しかし、夜になってどんどん天気は悪くなり、激しく振り出した。あしたもこんな天気なら登山は難しくなる。悶々としながら寝床に着いたが、やめるか無理して登るかいろいろ考えが巡って全然寝付けない。台風の進路も気になる。気持ちがどんどん萎えて、中止の方向に気持ちがいく。ほとんど寝れないまま、朝5時半に起床。起きたときは青空も見えて、もしやと思い、お天気をチェックしたが、このあと6時ごろから雨が降り出し、その後は一日中雨ないし、午後から曇りという予報。おまけに山の方は思いっきりガスがかかっていて視界が効かなそうで危険度が高そうに感じた。せっかくここまで来たのにという思いもあるが、そもそも光岳に登るつもりだったので無理してまで池口岳に登って万が一事故でも起こしたらやばいという思いから結局登山は断念した。そうすると、後は家族との旅行をどうするか。これも台風の進路次第で難しい決断を迫られそうだった。いずれにしても、登山をしないなら遠山郷にとどまっても意味がないので、宿は引き払うことにした。
引き払った後は、豊橋あたりでビジネスホテルに泊まるか、家まで帰ってしまうかの2択。最初は豊橋泊に気持ちが行っていたが、万が一家族旅行もキャンセルということになったら、切符の払い戻しが発生する。切符は自分のクレジットカードで一括で支払っていて、カードを持ってきている。その上、自分用と家族用を分けて、家族用は家内に渡してある。自分が豊橋にいて身動きできなくなったらキャンセルできない可能性もあるので、やっぱり家に帰ることにした。
朝食の時に、宿のおかみさんに事情を話してこの日の宿泊はキャンセルして駅まで送ってもらうことにした。ありがたいことに、急な変更にも快く応じてくれた。ちなみに、遠山郷までは平松駅から乗り合いのタクシーもあるのだが、こちらもコロナの患者が出たということで休業しているとのことだった。宿の方に送っていただけないと、飯田方面にバスで出るしか手段がないところだった。

とりあえず帰宅、そして旅行もキャンセル

8:30平岡発の豊橋行きに乗る。行きと違って電車はガラガラ。自分は夏休みだが今日は平日なので空いているのかも。しかし、途中の秘境駅では何人かの人が乗ってきたり、降りたりしていた。昨日ネットでたまたま見た記事では、途中にある小和田駅秘境駅中の秘境駅らしく、車で行くことができない駅なのだそうだ。その小和田駅で4人も降りて行った。彼らはこれからどうするのだろうか? 次の豊橋行きは約2時間後でしかも特急なので小和田には止まらない。そうすると更に2時間くらい電車ない。反対向きの列車に乗るのだろうか? 自分はローカル線に乗って車窓の風景なんかを楽しむのは好きだが、何もない駅に降りて何時間もすることがないというのにはどうも耐えられそうにない。昔、飯田線に乗った時はこんな秘境駅マニアはいなかったように思うが、いつからこんなにマニアが増えたのだろうか? 飯田線に乗って豊橋から岡谷まで行ったというだけで、ほぼ変人扱いだった昔とは大違いだ。
豊橋からは新幹線に乗ることもできるが、すぐに新快速に接続していて、名古屋までそれほど時間がかからずに行けるので名古屋までは在来線で行く。乗った列車は大垣行きで、大垣で乗り継いで米原まで行けば、米原から新快速に乗れるので、新幹線に乗らずとも帰ることはできるが、さすがにそこまでしてお金を節約しようとも思わない。もう一つの策としては、名古屋から近鉄の特急で大阪に出るというのがあるが、時間を見ると在来線で帰るのとほとんど変わらない。それなら新幹線の方が楽なので、名古屋からは新幹線で京都に向かう。指定を買うほどのことでもないので、自由席にした。どうせ40分くらいだし、最悪は立っていても、登山も何もしてないので体力は有り余っていると思っていたら、帰りの新幹線は行きよりももっとガラガラだった。自由席は1両に10人ほどしかお客さんがいない。
とりあず、14時前に帰宅。予定では明日から旅行だが、問題は台風の進路。始めの予報よりも進路が西寄りになって静岡に直撃しそうなコースになってきた。家内からはLINEで明日はどうするのかと問い合わせがきたが、今の状況ではやめるという決断をするというとこまでの状況ではなかった。切符は当日の出発時間までに駅に行けばキャンセルできるし、宿のキャンセルも前日でも当日でもキャンセル料に大差ないので、ぎりぎりまで様子を見ようと思ったら、その矢先に、旅行会社から電話がかかってきた。なんでも、大井川鉄道が明日は台風の影響で一日運休を決めたそうなので、キャンセルする場合は全額返金するとのこと。ちなみに車で宿まで行く場合は、運休になった大井川鉄道の運賃は返金ということらしい。申し込んでいたのは、大井川鉄道の切符とホテルの宿泊がパックになってツアーで、大井川鉄道の2日分のフリー切符もセットになっていた。こっちは鉄道で行く予定で切符まで買ってあるので、肝心の大井川鉄道が動かないのではどうしようもないのでキャンセルすることとした。残念だが、台風のせいでは仕方ないし、かえってあれこれ悩む必要もなくってある意味ではよかった。
ということで、夏休みの予定はまったく無茶苦茶になって結局、飯田線に乗りに行っただけに終わってしまった。まあ、こんなこともあるさ。
コロナに始まって、台風までやってきた今回の山行計画。結局、コロナが無くても光岳には登れなかったというオチまでついた。またいつの日か光岳に登ってみたいと思っている。なんせ、光岳小屋の宿泊料は事前支払いで支払ってあるので、いつかは泊まりに行かないと元が取れない。

中部の等高線付き地図を作成

夏休みにアルプスに登山する計画を立てていて、まだ作っていない中部地方の等高線付き地図を作成しました。
前回やった近畿地方の地図のやり方をそのまますればよいと軽く考えていましたが、備忘録として書いたつもりの記事が間違いだらけで役立たずだった(記事を読んだ方に申し訳ない)ので、結構時間がかかってしまいました。
alasixosaka.hatenablog.com
alasixosaka.hatenablog.com
備忘録を兼ねてちゃんとやる方法を書いておきます。この先、関東や中国地方などの地図を作る時に困らないように。

全体の流れ

まず、作業全体の流れです。

  1. オープンストリートマップの日本地図から必要な部分を切り出す。
  2. 本州の等高線地図から必要な部分を切り出す。
  3. 世界の海岸線地図から必要な部分を切り出す。
  4. 海の領域を指定した地図を作成し、3と合体する。
  5. できた地図に1と2を合体する。
  6. mapsforgeで読めるようにmap形式に変換する。

下準備

作業開始前に確認しておくこと、用意するデータなどです。

JAVA関連の設定

まず、つまずいたのはJAVA関連の設定でした。前回作業したときはJREを使って作業を行ったのですが、現在はJREJDKに統合されてしまっており、自分のパソコンでもJREは削除されていて、JDKがインストールされていました。にもかかわらず、環境変数を修正していなかったので、コマンドを動かそうとするとJAVAがないとエラーメッセージが表示されてしまいました。
エラーを回避するため、環境変数に現在インストールされているJAVAのフォルダのパスを通しておきます。
JAVAの格納フォルダは私の場合は、c\ProgramFiles\java でした。環境変数の設定を開いて、PATHの編集をクリックし、JREのパスが記載されていた部分をJDKのパスに変更します。この際、再起動を行わないといけないので注意が必要です。
また、メモリの割り当ても、JDKをインストールするときに変更されたのか、何かの都合で変更したのか覚えていませんが、512Mbyteになっていて、作業途中でまたもout of memoryのエラーが出現したので、6Gbyteに変更しました。メモリ割り当ての変更も環境変数の設定から行います。

元データの用意

今回の作業では、必要なプログラムはインストール済み、また大元のデータとなる、本州の地図、等高線、世界の海岸線のデータはすでにあるという前提で作業を進めます。

実際の作業

切り出す範囲の決定

地図の切り出しは、osmosisを使って行いました。切り出しには、経度、緯度それぞれに上限、下限の計4点の座標が必要です。
googleマップで適当な地点をクリックし、経度、緯度を確認し、次の4点を切り出す座標に決定しました。
経度 下限 135.4493 上限 139.1322
緯度 下限 34.2763 上限 37.5402

オープンストリートマップの切り出し。

ダウンロードしてある(あるいは新規にダウンロードして)、japan-latest.osm.pbfをosmosisを使って、上記の座標範囲を切り出します。コマンドは下記の通り。

Osmosis --read-pbf file="japan-latest.osm.pbf" --bounding-box top=37.5402 left=135.4493 bottom=34.2763 right=139.1322 --write-pbf file="chubu.osm.pbf"

ちなみに、pbfはオープンストリートマップを圧縮した形式のファイルの拡張子です。(pdfではありません)
圧縮されていないファイルはosmという拡張子を付けます。

等高線の切り出し。

以前の作業で作成した本州部分の等高線(honsyu_DEM10b.pbf)から、下記のコマンドで中部地方を切り出します。

Osmosis --read-pbf file="honshu_dem10b.osm.pbf" --bounding-box top=37.5402 left=135.4493 bottom=34.2763 right=139.1322 --write-pbf file="chubu_dem10b.osm.pbf"

海岸線データの切り出し

海岸線のデータは以前にダウンロードした全世界の海岸線データからogr2ogrを使って切り出します。拡張子はshpです。

ogr2ogr -overwrite -progress -skipfailures -clipsrc 135.4493 34.2763 139.1322 37.5402 chubu_o1.shp land-polygons-split-4326/land_polygons.shp

できたchubu.shpをshape2osmを使ってosm形式に変換します。

py -2 -m shape2osm -l chubu_o1_ns -o 10000000 chubu_o1.shp

以前のブログにも書いた通り、mapsforgeのオリジナルサイトからとってきたものと、参考サイトからとって来たものの2つがあります。
前にも書いた通り前者でないとうまくいきません。(どちらを使っても同じようです。下にある修正をしないとうまくいきませんでした)
ファイル名はchubu_ns1.osmとなります。

海の領域を指定した地図を作成する。

ここは単純に領域全体を海に指定します。メモ帳などのテキストエディタで下記のファイルを作成し、chubu_s.osmとして保存します。あるいは参考サイトからダウンロードしても良いと思います。
yueno.net

<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?>
<osm version="0.6" generator="osmconvert 0.8.2">
	<bounds minlat="34.2763034" minlon="135.449339" maxlat="38.8973083" maxlon="139.899887"/>
	<node timestamp="1969-12-31T23:59:59Z" changeset="20000" id="32951459320" version="1" lon="135.449339" lat="34.2763034" />
	<node timestamp="1969-12-31T23:59:59Z" changeset="20000" id="32951459321" version="1" lon="135.449339" lat="38.8973083" />
	<node timestamp="1969-12-31T23:59:59Z" changeset="20000" id="32951459322" version="1" lon="139.899887" lat="38.8973083" />
	<node timestamp="1969-12-31T23:59:59Z" changeset="20000" id="32951459323" version="1" lon="139.899887" lat="34.2763034" />
	<way timestamp="1969-12-31T23:59:59Z" changeset="20000" id="32951623372" version="1">
		<nd ref="32951459320" />
		<nd ref="32951459321" />
		<nd ref="32951459322" />
		<nd ref="32951459323" />
		<nd ref="32951459320" />
		<tag k="area" v="yes" />
		<tag k="layer" v="-5" />
		<tag k="natural" v="sea" />
	</way>
</osm>

海の領域と海岸線を合体する。

まず、chubu_s.osmとchubu_ns1.osmを合体して、海と海岸線の地図を作成します。コマンドは下記の通り。

osmosis --rx file=chubu_s.osm --rx file=chubu_o1_ns1.osm --s --m --wx file=chubu_o1_sea.osm 

できた地図のファイル名はchubu_o1_sea.osmとなります。

地図、等高線と合わせる。

先ほどのchubu_o1_sea.osmとchubu.osm.pbf、chubu_DEM10b.pbfをosmosisを使って合体します。コマンドは下記の通り。

osmosis --rx file=chubu_o1_sea.osm --rb file=chubu.osm.pbf --s --m --rb file=chubu_DEM10b.pbf --s --m --wx file=chubu_o1c.pbf  omitmetadata=true

できたファイルはchubu_o1c.pbfというファイル名になります。omitmetadata=trueとしているのは、途中でエラーが出るためで、何故なのかとか、このオプションをつけるとどうなるのか詳しいことは判りません。エラーメッセージにそうせよと書いてあるのでつけてあります。

map形式に変換します。

これらのファイルを合わたものを、map形式へ変換します。
map形式への変換はmapsforgeのmap writerプラグインを使います。これもインストールされているという前提で作業を進めます。コマンドは下記のとおりです。

osmosis --rb file=chubu_o1.pbf --mw file=chubu_o.map bbox=34.276300,135.449300,37.540200,139.132200 tag-conf-file=tags.xml map-start-zoom=10 type=hd

bboxのオプションは、すべての切り出し範囲をこの範囲に統一して、海のエリアもこの範囲にしておけば不要だと思います。参考サイトの海のエリアのファイルchubu_s.osmを使ったため、エラーメッセージが出て、bboxオプションでエリアを指定せよと言われたので、つけています。念のためいつもつけておいた方が良いかもしれません。オプションのtag-conf-file=tags.xmlについては後で書きます。これがないと等高線が表示されません。
これで、chubu_o1c.mapというファイルが出来上がります。これを地図アプリに読み込ませると等高線入りの地形図が表示されます。

うまくいかなかった事

基本的な作業の流れは、以前のブログに書いたように、上記の参考サイトの方法を参考にして行っています。

このサイトでは、各地方のデータを切り出すのにポリゴンファイルを用いて、osmconvert を使って作業しています。同様の方法を用いてもよかったのですが、以前に近畿地方の地図を作成した時も今回と同じく、経度緯度を使って4角に切り出して作業したので今回も同じ方法で作業を行いました。

伊勢地方が水没する問題。

以前のブログでも、海岸線と海のエリアをうまく指定してやらないと陸地が水没してしまうと書きましたが、今回作成した地図では、三重県の沿岸部の大半が水没してしまいました。下の図は、マップ形式への変換時間を短縮するために等高線を入れずに変換したものを表示させています。

伊勢が水没している。

同じミスをしたのかと何度かやり直してみましたが、うまくいかないので、よくよく調べてみると、海岸線データを切り出したファイルをJOSMで読み込んでみてみたところ、伊勢地方の海岸線が一部途切れていることがわかりました。ちなみに、shape2osmは2つあると書きましたが、オリジナルサイトからとってきたものを使うと、”changeset=-1"となっていて、JOSMではエラーになって読み込めません。参考サイトのものは”changeset=1"となっていてうまく読み込めます。マップファイルへの書き出しはどちらを使っても問題なかったです。
海岸線データを切り出した元のファイル、chubu_o1.shpを同じくJOSMで読み込むとこちらは海岸線がちゃんと表示されます。どちらのshape2osmを使っても同じことが起こります。何故なのか最初はよくわからなかったのですが、答えがアプリ制作の時に大変お世話になった、伊勢在住のプログラマーさんのブログに書いてありました。
blog.mori-soft.com
このサイトによると、あまりちゃんと理解してないのかもしれませんが、OSMOSISで海岸線を切った時に、もともとつながっていた海岸線が切れてしまっているのに、一つの海岸線のようにデータ上なってしまうことが原因のようです。multipolygonになると書かれています。対処法も書かれていて、下のサイトのpythonスクリプトを使えば、multipolygonをpolygonに修正してくれるとのこと。
grazie Paolo · GitHub
ここで、インプットファイル名は、24行目に書かれている"poly.shp"です(といってもはてなブログでは行数が表示されないのでわかりにくいですが。はてなブログソースコードを記述するには不向きな気がします)。同じくアウトプットのファイル名は26行目に書かれている"polys.shp"です。これらを、自分のファイル名に書き換えて実行してやれば、修正されたシェイプファイルができます。それをshape2osm(どちらでもOK)を使ってosm形式に変換したものを使えば水没が解消しました。

import os, sys
from osgeo import ogr,gdal

def multipoly2poly(in_lyr, out_lyr):
    for in_feat in in_lyr:
        geom = in_feat.GetGeometryRef()
        if geom.GetGeometryName() == 'MULTIPOLYGON':
            for geom_part in geom:
                addPolygon(geom_part.ExportToWkb(), out_lyr)
        else:
            addPolygon(geom.ExportToWkb(), out_lyr)

def addPolygon(simplePolygon, out_lyr):
    featureDefn = out_lyr.GetLayerDefn()
    polygon = ogr.CreateGeometryFromWkb(simplePolygon)
    out_feat = ogr.Feature(featureDefn)
    out_feat.SetGeometry(polygon)
    out_lyr.CreateFeature(out_feat)
    print 'Polygon added.'


gdal.UseExceptions()
driver = ogr.GetDriverByName('ESRI Shapefile')
in_ds = driver.Open('poly.shp', 0)
in_lyr = in_ds.GetLayer()
outputshp = 'polys.shp'
if os.path.exists(outputshp):
    driver.DeleteDataSource(outputshp)

out_ds = driver.CreateDataSource(outputshp)
out_lyr = out_ds.CreateLayer('polys', geom_type=ogr.wkbPolygon)
multipoly2poly(in_lyr, out_lyr) 
正常に表示された状態(こちらは等高線ありの地図)


それから躓いたのは、上にも書きましたが、mapfile-writerでtag-conf-file=tags.xmlというオプションをつけるところでした。上にも書きましたが、これがないと等高線が表示されません。以前の自分のブログにオプションをつけないコマンドを書いてしまっていたので、間違いに気づくのに随分時間がかかりました。osmosisを最新版にしたり、mapfile-writerも最新版にしても解消せず、Windows版がダメなのかと思って、Linuxも使っていましたが同じことだったので随分悩みました。参考サイトをちゃんと読んでいれば、そのことが書いてあったのですが、一応読んでいたのですが斜め読みで肝心のところを読み飛ばしてしまっていて、気づくのに時間がかかってしまいました。ちなみに、tags.xmlというファイルは参考サイトからダウンロードさせていただいたものを使っています。
と言う訳で無事に等高線付きの中部地方の地図ができました。あまりやる作業ではないですが、結構手順が多いので、pythonスクリプトで自動化をしたいと思っています。出来たら、またこのブログに載せておきます。

武奈ヶ岳登山

夏休みに南アルプス登山を計画している。本格的な登山は久しぶりなので、トレーニングを兼ねて7/30の土曜日に武奈ヶ岳に登ってきた。
実は、アメリカから帰って喘息がまた悪化して、少し体がなまり気味。はじめは、少しのどが痛いと思ってコロナになったかと思ったが、熱は全然出ず。しばらく様子を見て念のため検査してもらったら陰性だった。そこで、いつも喘息を見てもらっている病院に行って調べてもらうとNOの値が悪くなっていて喘息が悪化しているということだった。確かに、夜になると咳が出て全然寝れない状態が続いていたので、喘息かもとは思っていたが、今までの発作と全然症状が違ったので戸惑った。とりあえず、気管拡張剤を併用することで症状は治まってきた。
さて、登山の話に戻る。なんせ久しぶりの登山(しかも山小屋泊の1泊2日)なので、しっかり準備をしないと、ということで、本番並みの装備を背負って登ってみた。
ザックは、RayWayのザック。装備は、非常食、行動食、着替え、雨具、シュラフ、ヘッドライト、など、本番は前日泊で終わってから温泉に泊まる予定なので、もっと荷物が多いが、少し体がなまっていることを考えて少し減らした。
シューズは本番を想定して、メレルのモアブにした。服は低地ということを考慮して、本番よりも薄着にして、上はファイントラックのドライレイヤークールに、モンベルの半そでT。下はモンベルの短パンに、草除けにゲイターを履いた。
食料は、いつものように鰹節のおにぎりを2個。行動食は、スポーツ羊羹、ミニ羊羹、ナッツ、アメリカでお土産にもらった甘いナッツ、チョコグラノーラ、柿の種、一本満足バー、カントリーマアム、やまよりだんご、エネもち、エナジージェル。非常食はアルファ米
行動食で実際に食べたのは、ナッツ、甘いナッツ、スポーツ羊羹、エナジージェル。それから下山後に一本満足バー。いつものように、行動中の補給は少なめで降りてから空腹を感じた。これではいかんと思いつつ、なかなか行動中に十分補給ができない。
夏場ということを考えて、水は多めに。モンベルのハイドレーション2Lに塩梅水を1.5Lほど入れて、前日から凍らせておいた。これに当日の朝少し水を加えて持って行った。モンベルのハイドレーションはアルミのカバーが付属しているのでこれをかけておいた。効果は絶大で、朝の7時過ぎに冷凍庫から取り出して、午後の3時くらいまで冷たい状態をキープしていた。また、途中で水が補給できなさそうなので、予備として山サーモスに氷水を入れて持って行った。

出発

登山なので本来は朝早くから登るのが本筋なのはわかっていたが、子供がサマースクールを受講中で、朝起こす必要があったので、早朝出発はやめて、朝一の新快速で北小松に向かった。北小松到着は8:49。ほかに登山客の姿はない。まあ、もっと早く来るのだろう。少しは涼しいかと思ったが駅前は暑い。途中の車窓から見てわかっていたが、雲が比良山系全体を覆っていて天気はあまりよくない。この季節はだいたい、比良山系はよく晴れることが少なくて、特に午後からは雲が発達して夕立のような雨が降ることが多い。今日のように朝から曇っていることはそれほど多くないが。とりあえず眺望はあまり期待できなさそう。まあ、トレーニングなのだから、土砂降りにならなければいいか。
出発してすぐにのぼりが始まる。まだまだこの辺は舗装されているしゆるやかなのだが。いつも軽装で登るので、本格的な山装備のザックを背負うのは実に数十年ぶり。やっぱり重いし、肩に食い込む。
途中、比良げんき村という施設の横を通った。あまりやっている雰囲気はなかったが、この日は天体観測をするようだ。入口(らしきところ)から少し上ると天体観測のドームがあった。たしかに、この辺なら星はきれいに見れるだろう。

比良げんき村。この日は天体観測会があるようだった。

もう少し上ると登山口に到着。お作法として登山届を書いて出しておく。ほかにも何枚か提出済みの届があったので何人かは登っているようだ。
もう少し上ると、楊梅滝に到着。下が雄滝で、滝脇を通る予定だったが、遊歩道が崩落していてう回路に案内されている。う回路をしばらく上ると滝が見えた。これはたぶん雌滝の方だろう。

楊梅の滝。たぶん雌滝

釈迦岳まで

ここからのぼりがきつくなる。稜線に上がるまでの斜めの道なので傾斜がきつい。標高が低く、暑さが厳しい。はやく標高を上げて涼しいところに行きたい。
しばらく上ると涼峠に到着。といってもそれほど涼しくない。風の強い日には涼しい風が通るのかもしれない。

涼峠。それほど涼しくない。

しばらく傾斜が緩くなったが、ヤケ山の手前でまた傾斜がきつくなった。この辺でようやく、前を上っている人を抜いた。今日初めて見た登山者だ。このルートはかなりマイナーなルートのようだ。ヤケ山に到着。

ヤケ山に到着

ヤケ山から今度はヤケオ山に向かう。名前の由来はさっぱりわからないが、ややこしい。
途中で思いっきり道を間違えそうになった。たまたま地図を確認したのですぐに間違いに気づいたが、あやうく間違ったまま進んでいくところだった。標識も何もないし、普通に稜線をそもままたどると間違った方向に行ってしまいそうになる。本来の道は、枝尾根のようなところを降りていく感じになるので、よくよく見ればこちらの方が道が少しはっきりしているのでわかるのかもしれないが、何も考えずに稜線をたどっていくと間違えてしまう。

道を間違えたところ。稜線は右に続いていく感じだが、本来の登山道は左に折れて尾根を降りる。

しばらく行くと眺めの良いところに出た。上に上がるとガスがかかってそうなので、眺めがあるうちに写真を撮っておく。

琵琶湖が見える。

またのぼりがきつくなって、登りきるとヤケオ山に到着。ここで、4人連れの登山者に会う。これから登っていくのかと思いきや下って行った。いつから登っていたのだろう。

ヤケオ山

ここからはガリバー旅行村方面がよく見えた。ただ、ガスは結構きつくなってきており、この先はあまり眺望が期待できそうにない。

ヤケオ山からガリバー旅行村方面を望む

ヤケオ山からはしばらくゆるい傾斜のところを進む。途中で琵琶湖がよく見えた。

雲の下から琵琶湖が見える。

11時過ぎに釈迦ヶ岳に到着。予定よりも45分ほど早い。ちょっと飛ばしすぎかもしれないが、このままのペースで行けるところまで行こうと思う。

釈迦ヶ岳

武奈ヶ岳まで

釈迦ヶ岳からは八雲ヶ原を抜けて武奈ヶ岳山頂に向かう。
釈迦ヶ岳でいったん標高1000mを越えたが、八雲ヶ原に向かっては降りていく感じになる。
途中で、比良ロッジ跡を通る。

比良ロッジ跡
比良ロッジ跡の広い空き地。兵どもの夢のあと?

昔はスキー場があったようで、ここにロッジがあったのだろう。広い空き地でキャンプするのによさそうなところだ。水場があれば文句なしというところ。
ロッジ跡から八雲ヶ原に降りていく。このあたりがスキー場のあとらしい。

八雲ヶ原に向かって降りていく

八雲ヶ原は高層湿原で、近畿では珍しい。

八雲ヶ原の案内板
八雲ヶ原の湿原

ここでは何人かの登山者が休憩していた。八雲ヶ原には11:30に到着。お昼には少し早いが、ここで2個目のおにぎりを食べる。予定よりも1時間早い。
八雲ヶ原からはスキー場跡を抜けて武奈ヶ岳頂上下に登る。このあたりからさらにガスが強くなってきて時々ほとんど視界がきかない時がある。だが、一方で登山者は増えて多くの人とすれ違うようになる。ようやくメインのルートに出たようだ。
12:23 頂上に到着。頂上には結構人がいた。しかし、すっかりガスに覆われて何も見えない。おまけに稜線上は風が強く、気温も低くて寒いくらい。ゆっくりしててもしようがないので早々に下山する。

武奈ヶ岳頂上。ガスで何も見えない

下山、金糞峠まで

下りのルートは一旦、西稜線をたどって、ワサビ峠までいいってそこから下った。
ワサビ峠までは気持ちのいい稜線だった。あいかわらず視界はよくないが。
ここでも数人の登山者とすれ違う。一人はトレランの格好をしていた。

ワサビ峠

ワサビ峠からは沢を渡って登り返して中峠に出る。そろそろのぼりがつらくなってきた。帰りのルートは結構アップダウンのあるルートを選んでいたのでちょっと失敗したかもと思い始める。

中峠。ここから金糞峠へ向かうが、とんでもない道だった。

中峠でも何人かの人が休憩していた。そのうちの一人の人に声をかけられた。金糞峠への道は大丈夫ですか? 私もこの道は初めてだったので、自分もこれから行くところだが、初めて行くのでよくわかりませんが、地図に載っている道なので多分大丈夫じゃないかと思う。と答えたが、この人の心配は当たっていた。あらかじめそんなにいいルートじゃないとわかっていたのかもしれない。中峠からは沢筋を一気に下り下りるのだが、道なのか沢なのかわからないところが多々ある上に、何度も沢を渡渉しなければならない。おまけに水量は結構多く。水につかりながらわたるところが何か所もあった。そして、岩は滑りやすく何度もこけた。途中で声をかけてくれた人を抜いたが、抜いたときは沢に水がそれほどないところだったが、そのあとどんどん水量が増して歩きにくくなった。あの人は無事に降りられたのだろうか?
ようやく沢を降り切って、合流した別の沢を少し上ってから、金糞峠に登った。

金糞峠

金糞峠ではトレランの一団が休憩していた。比良山系を縦走しているのだろうか? この辺りは標高も1000m以上あって涼しいので夏に走りに来るにはいいところだと思った。

イン谷口へ

金糞峠からは堂満岳へまた登り返しになる。それほど傾斜はきつくないが筋肉が悲鳴を上げつつあり、結構つらい。そして、堂満岳への分岐を見過ごして通り過ぎてしまった。地図を見ると今いるまき道をもう少し行けば、堂満岳への別の道への分岐があるので、そこまで行ってから登ることにした。まき道を行ったぶん最後ののぼりがきつくしんどい。
14時過ぎに堂満岳に到着。金糞峠までの下りで苦戦した分、時間がかかってしまい、少し貯金を吐き出した形になった。それでも予定よりも1時間ほど早く着いた。堂満岳からはしばらく尾根を下る。さっきの沢下りのようなことはないだろうと思ったが、傾斜がきつく尾根くだりも一苦労。おまけに岩がゴロゴロしていて最も苦手な道。帰りのルートはことごとく選択ミスであった。ここでも2度ほどこけた。滑ったわけでなく、足を木の根に引っ掛けた。今日は何回こけたことか。10回まではいかないと思うが間違いなく5回以上はこけている。
ノタノホリまで降りてきた。ここで道を間違いそうになるが、休憩していた女性に間違いを指摘していただいた。なんでも先に降りてきた人たちも間違えたそうで、確かにわかりにくい。ノタノホリからは、少し行くと道が沢沿いになり降り切ったところでイン谷口との分岐。イン谷口からは比良駅までバスがある。時刻は3時過ぎ。バスは15:25なので少し待つ感じになるが、結構疲れているのでバスで帰ることにした。ところが、ここでもぼーっとしててどんどん下ってしまい、湖西道路まで出てしまった。地図を見ると分岐を通り過ぎてだいぶ降りてきてしまっている。このまま駅まで行こうかと考えたが、まだバスには間に合いそうだったし、戻った方が早いので引き返すことにした。分岐につくとちゃんと標識が立っていて、本当にぼーっとしていたんだとゆうことがよく分かった。おかげでバスを待つ時間がほとんどなくすぐに乗ることができた。バス停では10人ほどの人が待っていた。バスで比良駅まで行き、トイレに行って、マイクロファイバータオルを水で濡らして、ホームの待合所で体をふいて、上だけ着替えた。マイクロファイバータオルでふくだけで汗でべっとりしていた肌がすっきるするのでこれはお勧めです。上にも書いたが、降りてきておなかがすいたので一本満足バーを食べて、山サーモスの水をごくごく飲む。ハイドレーションの水はバス停までで飲み切っていたので水分量としてはちょうどよいくらいかと思っていたが、これも、家に帰ってからのどが渇いて、また冷たいお茶をごくごく飲んだのでちょっと水分補給も足りなかったことが分かった。もう少し学習しないといけない。おなかの方も一本満足バーだけでは足りずに、家の近所のセブンイレブンで、シュークリームとエクレアを買って食べた。本番では、行動食はもう少し多めの方がよいような気がする。荷物になるが、食料は何よりも大切だ。

米国出張

仕事の都合でアメリカに出張してきました。
こういう時期なので、本音を言うと行きたくなかったのですが、仕事なので仕方がありません。
今の時期に海外に行くのにどれくらい手間なのかと、最新のアメリカ事情(といっても見てきた限りの情報になりますが)を書いておきたいと思います。

出発まで

出張が決まった時点では、アメリカへの入国、日本への入国とも、PCR検査(ないし、抗原検査、以下PCR検査と書きます)が必要だったが、アメリカ入国に関しては緩和され、2回以上のワクチン接種が完了していれば6月中旬から不要となった。日本に帰国する時は出国の72時間以内に行ったPCR検査の陰性証明が必要。ちなみに以前はアメリカへは出国の24時間以内に行ったPCR検査の陰性証明が必要で前日に検査を行うか、当日空港で検査するかの選択になる。日本の結果はだいたい3時間くらいかかるので、出発当日となると夕方の便に乗る時しか難しい。おまけに、関空で検査を受けて万が一陽性になった場合、公共交通機関に乗れなくなるので、その場でレンタカーでも借りて帰るしかないという状況に陥る。
それ以外に、コロナ関係では、ワクチン接種証明のコピーが必要。これはチェックインカウンターで見せる必要がある。
また、液体物の持ち込みは厳しく制限されていて、100ml以下の容器に入った液体を合計500mlまでしか認められない。また、容器が100mlを超えるものは中身が100ml以下でも認められない。アレルギーのせいでカフェインの接種を厳しく制限されているので、念のためデカフェのお茶の葉っぱと水筒を持っていくことにしたが、これは手荷物には入れられそうにもないので、預け入れの荷物に入れておいた。持ち込み荷物の液体は、洗濯用の洗剤(100円ショップで買った小袋入りの)、消毒用アルコール(ドラッグストアで小さいやつを購入)、寝ぐせ直し(100円ショップで60mlの容器に買って詰めておいたもの)、それにぜんそく用の吸入薬(オルベスコとメプチン)。メプチンは発作が出た時の緊急用で絶対必要ということはないが、オルベスコのほうは、1日に2回吸入をしているので、機内でも吸入が必要で持ち込む必要がある。しかし、どちらもガスが入っているので持ち込めるかどうか不安だった。ちなみに、燃料用のガス缶は危険物になるので当然持ち込み不可。チェックインの時にカウンターで確かめてみると、吸入薬の持ち込みはOKとのことだったので機内に持って入った。

出発から米国入国

関空からのアメリカ便は現状ではJALのロス行きしかなく、それも毎日は飛んでいない。日程の関係で帰国便は成田着ということになった。関空に行ってみると当日の国際線は乗る便のあと2便しかなく、空港はガラガラ。空港の店舗も大半が閉まっていた。2Fのレストラン街は全部休業。3Fも大半の店が閉まっていて空いているお店は数えるくらい。ちなみにダイソーも閉まっていた。100均で洗剤と寝ぐせ直しの容器を買っておいたのだが、最悪関空にもあるからと思っていたが、まさか閉まっているとは。事前に買っておいて正解だった。
機体はボーイングの787。中型機の分類に入る。最近は747や777などの大型機はあまりはやらないらしい。また、コロナ禍ということもありお客さんも少ないのでこれくらいの機体で十分なのかもしれない。お客さんはだいたい半分よりちょっと少ないくらいといった感じ。自分の座ったあたりは、4人掛けに2人。2人掛けに1人という感じでほぼ半分しか座ってなくて結構ゆったりとしていた。ロスまでのフライト時間は約8時間。西海岸までは結構近いし、行きは偏西風が追い風になるので早く着く。機内ではあまり寝ることができず、ロスからまた移動があるので移動した日は結構つらかった。行きの機内では機内食としてJALが若手のシェフの選手権で上位に入賞した人とコラボして開発したエコノミークラス専用の機内食が出された。昔はJAL機内食はあまりいい印象を持っておらず、大韓航空シンガポール航空にはるかに負けていたが、今回の機内食はなかなか良かった。
日付変更線を超えるので、月曜日の夕方に出発し、月曜日の午後にロスに到着という時間が戻るという変なことになる。最終目的地はダラスなので、ここから国内線に乗り換えてダラスに行く必要がある。アメリカではいったん入国が必要なので、ロスで入国の手続きを行う。ちょうど南米から来たフライトと重なったようで、ラテン語が飛び交う列に並んだ。彼らは当然ノーマスク。かなり並んで到着から約1時間くらいかかった。今回の入国審査では特に何も質問をされなかった。アメリカでは入国の目的、滞在先なんかを色々聞かれるのが普通なのだが、よっぽど英語ができないと思われたのか無言でスタンプを押されてOKだった。
ロスの空港は国際線のターミナルと国内線のターミナルが分かれているので荷物をピックアップして国内線ターミナルに移動する。乗継便はアメリカン航空だったのだが、ターミナル番号がわからない。また、普通は出発便とターミナル番号が書かれた電光掲示板とか、アメリカン航空の乗継カウンターとかあるのだがどちらも見当たらないので、アメリカンが発着しそうなターミナルに行ってみて係に聞いてみたら、ここでよいとのこと。なんとも不親切なことだった。チェックインカウンターまで行って聞けば教えてくれるのだろうけど、国際線で乗継する人のこともちょっとは考えてほしい。
約2時間の乗継でダラスに向かう。もう一度保安検査があるが、アメリカの保安検査は日本よりはるかに厳しい。ポケットの中身を全部出すのは当然だが、上着はNG、靴も脱いで、ベルトも外してX線装置を通る。非常に厳しくて保安検査場が一番混雑している。
しかし、アメリカの空港はほぼ日常の感じで、人はごった返しているし、飛行機もほぼ満席だった。よくわからんかったのは、自分の席に行ってみると中国系のお兄ちゃんが座っていて、自分の席の番号がないのか、よくわからないのか、ここは自分の席だというと、周りにその番号を訪ねているし、周りの人にあんたの座っている席だといわれてようやくどいてくれた。でも、そのお兄ちゃん、ひとつ前の席に座ったが、また、その席のチケットを持っている人が来て別の席に移っていた。ほかにも、自分の席がわからなそうにしている人がいて、CAにその辺の空いている席に適当に座っておけみたいなことを言われていた(英語なので詳しくはわからんかったが)。どうなっているのやら。インド航空でなんか自由席みたいになったことはあったが、アメリカでもそんなことがあるのかな?
インド航空もよくわからんかった。国際線で日本から飛んでいて、インドの最初の寄港地に降りたとたんに、今度はインドの国内線に早変わりして、乗ってくる人は適当に自由席で座っていくという感じで、いかにもインドという感じだった。
ロスからダラスへはまた時差が2時間あって、今度は時間が進むので、午後の便に乗ってついたら3時間のフライトで夜8時くらいと時間の感覚が全くつかめない。
同行した人がレンタカーを借りてダウンタウンに向かう。ダラスは空港からダウンタウンまで比較的近く、だいたい30分くらい。ついた日は7/4でちょうどアメリカの独立記念日。あちこちで花火が上がっていて、お祭り騒ぎ。途中で翌日の朝食を買って、ハンバーガーショップによって夕食をとることにした。ところが、ハンバーガーショップは開いていることは開いているのだが、どこも車の列。独立記念日のお祭りを終わって晩飯を食べて帰るところにぶつかったらしい。また、夜が遅くなるとテイクアウト専門になる店や閉まる店もあって、3軒ほど空振りしてようやく晩御飯にありついたときは11時を過ぎていた。その店も食べているうちにテイクアウト専門になって店内スペースは入り口が閉められてしまっていた。

テキサスのチェーン店Whatabargerで夕食

初日の長い長い移動が終わって、ホテルに着いたのが12時過ぎ。疲れていたのですぐ寝たかったが、翌日からのことを考えると、洗濯をしておきたかったし、日付的には出発した日の夜ということになっているが、時差を考えると実質的には飛行機の中で寝たことになるので、出発日はストレッチも筋トレもやっていないことになるので、もう一日、日課のストレッチと筋トレをさぼるわけにいかないので、頑張ってストレッチと筋トレはをやってから寝ると午前1時になった。それでも時差ボケで4時くらいには目が覚めてしまった。なんとも厄介な時差ボケである。

ダラスにて

ダラスといえば、ケネディ大統領暗殺事件で有名な街。到着翌日は時差ボケと移動の疲れも考慮して午後をオフにしてもらったので、暗殺現場を見に行った。
暗殺現場は観光地になっていて、説明板や、説明員(有料)がいたりする。そして、大統領が撃たれた地点の道路にはバツ印が書いてある。

JFKの暗殺現場。地面にバツ印がある
別の角度から

また、捕まった暗殺犯がいた建物も残されていて、撃った窓にもバツ印が書いてあった。

狙撃犯のいた建物

お土産屋もあったが、定休日なのかコロナの影響か閉まっていた。
暗殺現場を見学した後は、美術館に行ってみた。ダラスは芸術の街ということを街を挙げて推進しているようで、美術館が沢山市内にある。その中でも一番大きい、ダラス美術館に行ってみた。中の見学は無料で、ピカソ、モネ、ゴーギャンなど有名な画家の絵が沢山展示されていた。平日の昼間ということもあって中は大変すいていて、有名な画家の絵がじっくり見れてとても贅沢な時間を過ごすことができた。
ダラスは、日本と同じで今年は熱波で非常に暑く、連日40℃を超える暑さだったが、日本と違い湿度が低いので少しマシに感じた。それでも昼間に直射日光を浴びていると結構しんどい。ダウンタウンはこじんまりしていて、歩いてでも観光できるくらいだが、一日歩いて観光するのはさすがにきついだろうと思った。
また、ダウンタウンには路面電車が走っており、こちらも無料ということで、お金持ちの多い町なんだろうと想像される。南部なので、街には黒人の姿も多くみられたが、ホームレスの人はあまり見かけず(まあ、自分の見た範囲だけなのかもしれないが)、治安もよさそうに感じた。

ダラスの街を走る路面電車

ちなみに、ダラスといえば、NFLカウボーイズ、NHLのスターズのホームタウンでもあるが、ダウンタウンにスタジアムはなく、どこか郊外にあるのだろう。
2日目の夜は、アメリカのファミレスのチェーン店でアップルビーズというところで夕食をとった。お昼が結構がっつり系だったのでおなかがすいてなくて、チキンのサラダを頼んだが、出てきたのがこれ。

アップルビーズで頼んだサラダ

たしかに野菜は乗っているが、鶏肉もたっぷりで、器の下にはご飯が一杯。日本の感覚だとがっつり系のどんぶりというところ。

3日目の午後はPCR検査を受けにクリニックに出掛けた。ダラスにはトヨタアメリカ本社がある関係もあり、日本人の医師がいて、そこに検査をしてもらいに行った。あらかじめ電話で連絡を取り、車で向かった。ダラスといってもかなりの郊外にあり、ダウンタウンから30分くらいのところにあった。つくと、車の中に待機するように指示されて、看護婦さんが検査キットを持ってやってきた。車の中で鼻の中に綿棒を突っ込んで検体を採取し、15分くらい待つと検査結果を持ってきてくれた。もちろん陰性。しかし、日本だと早いところでも3時間くらいかかるのに、なぜアメリカだと15分で結果が出るのか不思議だ。検査については前からいろいろ言われているがまだまだ日本は遅れている。ちなみにアメリカでは薬局で検査キットも売っていて自分で検査することもできる。コロナの検査はアメリカでは妊娠検査薬レベルの手軽さだ。もっとも、日本に入国するためには厚生省が定めたフォーマットの陰性証明に医師のサインが必要なので、自分で検査して済ますことはできないけど。
3日目の夜は、出張先のビルの1Fで先方のスタッフの一人と夕食。日本に駐在経験のある人で、日本語も結構しゃべれる。
まずは、魚と貝の料理とエビのフライ。
それからとんかつ。(日本のとはちょっと違うけど)

とんかつ?

そして、サラダ。こっちはまともなサラダ。

普通のサラダ

4日目の夜は現地での仕事を終えて、先方のスタッフと打ち上げ。市内のレストランで食事をした。テキサスといえば牛肉。ということでボリュームたっぷりのステーキが出された。もっとも、肉の種類としては和牛もあって、宮崎とか熊本とか言っていた。ウェイターのお兄ちゃんがいろいろ説明してくれるのだが、早口でものすごく沢山しゃべるのでほぼ断片的にしか聞き取れない。というか、あんなにしゃべったらネイティブでも最初のうちに何を言っていたか忘れるんじゃないかと思った。ステーキ以外には、カニとロブスター、カキなどの魚介、刺身、寿司などもでた。向こうのスタッフが気を使って和のテイストを取り入れたレストランにしてくれたのかもしれない。最後は巨大なそして、とっても甘いケーキが出て、やっぱりアメリカだなというのを実感した。それにしても、レストランは満席でみんな大声で話しているし、当然日本のように仕切りもなく、全く何も気にしていない風だった。まあ、街でもお店でもマスクをしている人はあまり見かけないのでそれがこちらの標準ということなのだろうが。

ステーキの肉。焼く前に見せてくれる。
寿司と刺身
デザートのケーキ

アメリカ出国、帰国

金曜日の朝にダラスの空港から日本に向かった。帰りは関空行きが飛んでいないので成田経由で帰国の途に就いた。JALだったので現地のスタッフも日本人かと思いきやたどたどしい日本語しかしゃべれないヒスパニック系の人ばかりだった。JALも人件費を節約しないとやっていけないんだなと感じた。日本に帰国するにあたっては、MySOSというアプリとCOCOAというアプリを入れることが推奨されている。実際にはCOCOAについては何も確認されなかった。MySOSは入れて所定の手続きをとるとチェックイン、入国が非常にスムーズに行える。ただ、このアプリ、海外から帰国するように作られているわけではなく、そういう機能もありますよというアプリで、Googleのサイトで見ても、海外から帰国するのに使えるような説明が一切なかったので本当にこれでいいのかと思ってしまった。
インストールすると、パスポートや連絡先などの個人情報を入力し、海外からの帰国に使用するという(ファストトラックというらしい)をクリックすると、3回目のワクチン接種の証明と現地で行ったPCR検査の陰性証明を登録することができる。それ以外には、帰国便と座席番号などを入力する。
証明は写真を撮ってアップロードすると日本の方で担当者が確認をする仕組みになっていて、すべてOKだとアプリの背景が赤から青に変わる。所要時間はアップする時間にもよるが、私の場合はだいたい半日くらいかかった。青になっていると、チェックインではアプリの画面を見せるだけでよい。入国の時はアプリに表示されるバーコードを読み取る必要があるので、バーコードの画面は念のためスクショを撮っておくとよい。
行きの関空からロス行きはガラガラだったが、帰りのダラスから成田行きは満席だった。成田で乗継で別の国に行く人だけを先に降ろしたが、その時に半分くらい降りて行ったので乗り継ぎ客の多少が飛行機の混み具合の差になっていたのではないかと思った。なんせ、関空では夕方には3便しか飛んでなかったので、乗り継ごうにも便がないというのはあるだろう。成田の方は電光掲示板に国際線の表示が一杯表示されていたので(それでも普段よりは少ないのだろうが)、やはりハブとしての機能としては関空よりは成田の方がはるかにあるのだろう。帰りのJALの機内では、行きに出されたシェフが開発した特別食は提供されなかった。よくよく考えると、食材は現地で調達しているし、調理も現地のスタッフで行っているだろうから、すべての出発地で特別な食事を用意するわけにはいかないんだろうと思った。ちょっと残念だったが。
成田には2時半ごろに到着。西海岸からだとフライト時間が比較的短いが、ダラスは緯度的にはアメリカのほぼ真ん中で、しかも南に位置しているので日本までの距離が遠い。帰りは偏西風が向かい風になるのでさらに長く12時間くらいかかる。おまけにアメリカ時間でいうと昼間のフライトになるのであまり寝れないのがつらい。長時間のフライトがしんどいかどうかは寝れるか寝れないかにかかっている。
しかし、今回は時差ボケが完全に直ってない状態で帰ってきたので飛行機の中でも思ったよりも寝れたので割と楽だった。
成田で伊丹行きの便に乗り換えて家に向かう。乗り継ぎ時間が4時間くらいあったので、展望デッキに行って飛行機を眺めたり、夕食を食べたりして時間をつぶした。成田も関空ほどではないが閉まっているお店が多く、レストランは半分くらいしか開いていなかった。伊丹行きも割とすいていて、3人掛けのシートに2人ずつ座るという感じだった。機体はB-737。東京ー大阪間を行き来するにしてはしょぼいし古い。JALの経営状況がうかがえる。まあ、国内線でいうと成田は羽田ほどは需要はないだろうし、入国者数が厳しく制限されている状況なので大きな機体は必要ないのだろうが。伊丹からは、モノレールと阪急を乗り継いで家に帰った。最寄り駅につくと雨が結構降っていて、持って行った折り畳み傘がようやく出番となった。酷暑は過ぎ去っていたようでアメリカに発つ時よりも少し気温は下がっていた。ダラスも暑かったのでかなり涼しく感じた。
しかし、今この状況下で海外に行って帰ってくるのはいろいろと面倒だし、それでなくてもいろいろ気を遣う海外の旅だが、コロナ禍ということでより一層気を使うことが多くて大変だった。また、帰国に当たっては検査も必要なので(これでも以前よりは簡素化されているらしいが)、手間とコスト(今回の検査費用は$200)を考えると、観光で海外に行くのはまだまだ難しい感じがした。お金と時間のある人でどうしても海外に行きたい人が行くのだろう。コロナがいろいろと変えてしまった世界の一端を垣間見た気がした。

20Lクラスの軽量ザックの検討

日帰りで登山に出掛けたり、トレイルに出掛ける時に、重宝するのが小さめのザック。トレランの場合は、トレラン専用ザックも持っているし、走るのに使いやすいように工夫されているので使いやすいが、容量的にもう少し欲しい時がある。レースならいざ知らず、自分で水分や補給食を持って、しかも冬とかに防寒具も持ったりするとトレラン用ザックでは少し小さいと感じることがある。今持っている、トレランザックで最も大きいのがRaidlightのResponsiv24というザックで、公称容量が24Lということになっているが、どうもそれほど入らない感じ。そこで、SalomonのOut Day 20+4というザックを買ってみたのだがこれは買ってみると結構おおきくて本格的ザックという感じ。

 

これはロールトップになっていて、通常は20Lでロールトップを伸ばせば24Lになりますよというコンセプトのザック。Responsiv24よりもはるかに大きい。大きいだけでなく、作りがしっかりしていて結構重い(671gもある)。そこで、300g前後で、20L程度のザックはないかと検討してみた。

 

maker Raidlight Salomon patagonia Pagoworks Cotopaxi macpac gossamer gear gregory
product Responsiv24 Out Day 20+4 Black Hole 20 Rush20 DELDIA24 LW weka vagabond  packable nano 20
H 38 59.5 44 42 61 46 46 50
W 18 44.5 28 26 30 32 27 25.4
16 14.9 15 18 18 21 15 14.5
容量 10.9 39.5 18.5 19.7 32.9 30.9 18.6 18.4
重量 290 671 296 550 420 360 317 499

 

Resoinsiv24はメーカーで廃番になっているみたいで、公式な数値は見つけられなかったので物差しで測ってみた数値。単位は㎝、容量はそこから計算した数値で単位はL。その他のザックはメーカーの公式の数値とそれから計算した容量を載せてある。

こうしてみると、Responsiv24とOut Day 20+4では容量の計算値からすると約4倍違う。見た目も大きく違うはずだ。

そこから右は今回検討した20Lクラスのザック。PatagoniaのBlack Hole20。大きさは手頃で軽さもちょうどいいし、パッカブルにもなる。ちなみにBlack Hole 25というのもあるが一気に重さが500gを超えてしまう。

 

 

PagoworksのRush20 こいつはトレラン用ザックで、RunTripのYouTube動画でも紹介されていて結構いいなと思ったが、残念ながら重量が550gとちょっと重い。

 

 

それから、cotopaxiのDelDia24。結構軽くてシンプル。色合いもカラフルでかっこいい。でも計算するとOut Day20+4とほぼ同じくらいのサイズでちょっと大きい。

macpac のLW Weka。超シンプルさが潔いが、サイドポケットもないので山で使うにはちょっと不便そう。サイズはちょうどよい。

 

 

Gossamer GearのVagabond Packable、これもパッカブル。ほぼ同じ大きさでパッカブルでないJETとTrailというのもあるがどちらも重量が500gを超えてしまう。ちなみにハイカーズデポでは売り切れでした。

hikersdepot.jp

表の一番右は今通勤で使っているGregoryのザックNano20。これで20L。計算した容量はLW Weka、Vagabond、Rush20やBlack Holeとほぼ同じ。やっぱりResponsiv24は公称24Lといいながらこれら20Lクラスのザックと比べても随分小さく、約半分の容量しかない。

容量的には、Black Hole20、LW Weka、Vagabondのどれかという選択。LW Wekaは上にも書いたが、サイドポケットがないので落選。Vagabondもよさそうな気がするが、トップのハンドルが2つあってちょっとデザインが好みに合わない。

ということで、結論はBlack Hole20を購入。ちょうどAmazonで青色が安くなっていた。

手持ちのザックのサイズを比べてみた。左の2つが公称24LのResponsiv24とOut Day20+4、右の2つが公称20LのBlack Hole20とNano20。こうしてみてもResponsiv24が小さめだということがわかる。

ザックの比較。左からResponsiv24、Out Day20+4、Black Hole20、Nano20

Nano20は通勤で使っているが、499gとちょっと重めだが良いザックだ。ハイドレーション専用の気室もあって重さを気にしないならランに使っても全然問題ない。しっかりした造りなのでどちらかというとデイハイクや日帰り登山用という感じか。Black Hole20はそれに比べると非常に軽量。サイドポケットはあるが、雨蓋のポケットは財布や小物類しか入らないくらい小さいし、気室はメイン気室があり、その内側に小さなポケットがあるくらいのシンプルな造り。ちなみに内側のポケットは裏返してこの中にザックを収納するパッカブルにするためも兼ねている。ハイドレーションを入れるところがないので、内側ポケットのなかにフックがあるのでこれを使うしかない。また、ショルダーストラップにポケットがないので、外付けでケースなどをつけて使うことになりそう。実際に使ってみたらまたレポートしようと思っている。